博物館では昭和57年8月の開館以来、氷見にゆかりの人シリーズと銘打ち、氷見と関係の深い人たちにスポットを当て、これまで14回におよぶ特別展を開催してきましたが、15年度は遊歴の日本画家、山本永暉を取り上げました。 山本永暉は、慶応元年(1865)9月8日、沖田太郎兵衛・イトの二男として、大阪府西区新町南通1丁目に生まれました。本名は山本増次郎で、永暉・準・悟雪洞・大機等などと号しました。
幼少より絵を好み、明治10年四条派の西山完瑛に絵を学びました。明治15年、東京の山本重僖と養子縁組をし、山本姓を名乗ります。狩野探美門から、後に橋本雅邦を師友として研鑽。明治22年皇居豊明殿の格天井画の制作に加わったといい、明治35年頃から北陸路や中国・四国地方を中心に各地を遊歴しました。
永暉は、明治30年頃から昭和初年頃にかけて、大津や宝塚・広島のほか、福井県の武生・大野・勝山・三国、石川県の小松・金沢、富山県では新湊や伏木・城端を訪れて彩管をふるっていますが、氷見へも幾度か足を運んで氷見の風物を中心に作品を残しています。大正2年、氷見の灘浦海岸から雨晴(現 高岡市太田雨晴)を訪れて「有磯勝地撰寫」を写生し、これを元に氷見の景勝地を選んで「有磯八景」として作品に仕上げています。昭和27年2月12日、逝去。享年87歳。
平成14年4月には、没後50年の法要がつとめられたのを契機に、大津市石山寺在住の遺族より先の「有磯八景」の作品8点と下図帳「有磯勝地撰寫」が本館へ寄贈されました。
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