氷見市南部に位置する十二町潟は、かつて布勢水海と呼ばれ、奈良時代には越中国守大伴家持が舟を浮かべて遊覧したことで知られています。家持が詠んだ布勢水海に遊覧する賦の返歌として、越中尉を務めた大伴池主が詠んだ長歌に「うらぐはし布勢水海に」の一部があります。「うらぐはし」とは「心細し」と書き、心に染み入り、えもいわれず美しい様を表します。布勢水海の風景は、都人をはじめ多くの人びとの心をとらえたのです。
ただ、布勢水海はたんに風光明媚なだけの存在だったわけではありません。潟周辺に暮らす人びとは長年重湿田での米作りを営み、水害にも悩まされてきました。水郷地帯ならではの生活の知恵やその苦労の歴史は、この地域で使用されてきた民具にも表れています。
当館では、平成17年に布勢水海をテーマに特別展「水辺の人びと ―布勢水海の歴史をさぐる―」を開催しました。それから18年が経過する中で、上久津呂中屋遺跡や中谷内遺跡といった潟縁に位置する能越自動車道関連遺跡の発掘調査によって、多くの遺物が出土し、縄文時代や奈良・平安時代に関して新たな知見が得られました。また、潟舟タズルや泥を掻き揚げるジョリンといった潟周りの特徴的な民具についても、新たな資料を多数収集しています。
そこで、令和5年度の特別展では、あらためて布勢水海をテーマにすえました、いわば通史編だった「水辺の人びと」に対して、本特別展では考古学的、民俗学的な話題を中心に、布勢水海とその折々の人びとの暮らしとの関わりについて紹介しました。
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