氷見市には、大正11年に国の指定を受けた史跡、朝日貝塚と大境洞窟住居跡があり、近年は、能越自動車道建設に先立つ大規模な発掘調査が市内で次々と実施され、縄文時代の資料が多数出土しています。特に、上久津呂中屋遺跡では、県内最古の貝塚が確認され、氷見における縄文時代のイメージが大きく変わりました。
氷見の縄文人の足跡をたどると、次の様になります。
早期前葉から前期前葉にかけて、上久津呂中屋遺跡において県内最古の貝塚が営まれます。
その後、前期中葉に一時衰退しますが、前期後葉以降、上久津呂中屋遺跡に加えて、朝日貝塚などの遺跡が、海岸沿いに営まれます。
海退により、潟である布勢水海が形成される中期中葉から後期前葉にかけては、上庄川や余川川などの上流丘陵地域に縄文人が進出するとともに、大境洞窟が利用されています。
後期中葉以降は、丘陵部の遺跡が途絶え、布勢水海周辺の海・潟沿いに集中しますが、晩期後葉にはほとんどの遺跡が営みを終えます。
この特別展では、本館所蔵資料に、富山県埋蔵文化財センター所蔵資料を加えて、縄文時代の氷見を紹介しました。
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