海岸の近くまで丘陵がせり出した氷見市北部、灘浦海岸の泊や小境では、昭和10年代から30年代中頃まで「ヒトンマ」という一風変わった農作業が行われていました。
泊のヒトンマ作業は、山間の新開田で、田の荒起こしの後に行われるもので、本来馬や牛が引く犂や砕土機を5人の女衆が引き回します。この作業によって新開田の水持ちが良くなることから、田植え前には欠かせない作業だったといいます。
このヒトンマ作業からは、地元の浦々で営まれた定置網漁や遠方での出稼ぎ漁に従事する男性たちにかわって、地域の農作業を担った女性たちの姿が浮かび上がってきます。また、こうした灘浦での半農半漁のくらしは、この地域で400年以上続く定置網漁の歴史とも深く結びついてきたものでした。
本展覧会では、氷見灘浦の海岸部に位置する村々の歴史と生活を振り返り、この地で営まれた氷見ならではの半農半漁のくらしのありようを紹介しました。
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