平成20年、氷見市稲積にある稲積川口[いなづみかわぐち]遺跡で、能越[のうえつ]自動車道氷見北インターチェンジのアクセス道路建設に先立つ発掘調査が実施されました。
 調査では、かつて蛇行していた余川川の名残と考えられる川跡が見つかり、その中から7世紀前半(飛鳥時代)の木製農具、馬鍬[まぐわ]が出土しました。
 柄が残存する馬鍬の出土は全国的にも珍しいもので、当時の牛馬耕や木工技術を知るうえで貴重な資料です。

 川跡からは、建築部材や板梯子、田舟とみられる木製品のほか、8世紀後半から12世紀前半(奈良・平安時代)の遺物も出土していますが、中心となるのは馬鍬と同じ7世紀前半の須恵器・土師器などの日用雑器です。須恵器・土師器ともに多様な器種が出土しています。杯や椀、高杯などの食膳具、壺や甕といった貯蔵具、鍋や[こしき]などの煮炊具があり、土師器には内面に黒色処理を施した内黒土師器[うちぐろはじき]もありました。おそらく7世紀前半には遺跡の近くに集落が存在し、米作りが行われていたのでしょう。

馬鍬の出土状況

出土した須恵器・土師器
 稲積川口遺跡の南西約400mに位置する蛭子山[えびすやま]の中腹には、全88基という県内最大の規模を誇る横穴墓群、「加納横穴群[かのうよこあなぼぐん]」(氷見市指定史跡)があります。加納横穴群が造られたのは6世紀後半から7世紀末。稲積川口遺跡の周辺に集落が営まれた7世紀前半とちょうど重なる時期です。加納横穴群に埋葬された有力者たちと、この遺跡との深いつながりがうかがわれます。




台木 : 全長117.5cm (クリ材)
歯  : 11本・全長60cm (装着状態で45cm)
柄  : 全長52cm (装着状態で43cm)
年代 : 7世紀前半

 馬鍬とは、馬や牛に引かせて水田の代掻きを行う農具で、古墳時代の前期に大陸より伝来し日本各地に広まったとされます。
 平安時代には歯が木製から鉄製に転換しましたが、ほぼ同じ形のものが昭和30年代頃まで使用されていました。木製の歯を持つ馬鍬は全国で三十数例の出土が確認されています。
 稲積川口遺跡から出土した馬鍬は、近代まで使われた台木の上部に鳥居型の柄がつく馬鍬とは違い、台木の後ろ側に伸びる柄が残っていました。
 同様の馬鍬はこれまでも出土例があったのですが、柄の形状が把握できる資料としては、この馬鍬が全国初の出土となります。柄だけでなく全体に保存状態は良好で、当時の木工技術を知る上でも好資料といえます。



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