吉田初三郎(1884〜1955)は、大正から昭和にかけて独特の画法でパノラマ式の鳥瞰図を描き、「大正の広重」と称されました。この作品は、昭和27年に市制が施行され、昭和29年4月1日に一郡一市が実現した氷見市域を鳥瞰した肉筆画で、東(左方)は立山連峰から富山市、西(右方)は能登半島から福井県の敦賀までを描いています。
なお、一旦完成した後に、朝日水源地の上方に南部中学校とみられる建物の下地と線画が描き足されています。南部中学校は昭和31年の竣工であることから、建設途中ないし建設計画中の南部中学校校舎が後から描き込まれ、それが仕上げまでに到らなかったものと推測されます。二代目初三郎を名乗った弟子の吉田朝太郎が関わった可能性もありますが、吉田初三郎本人の手によるものとすれば、昭和30年に逝去する直前の最晩年の作ということになり、あるいは絶筆となった作品かもしれません。
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